芸術書出版 アートワークス

有限会社 アートワークス


投稿者: editor_aw

  • 束の間の美術館

    束の間の美術館

    「束の間の美術館」とは美術展覧会のことである。「オールド・マスター絵画と美術展覧会の興隆」という副題が示すように、本書で扱われている美術展は、すでに評価が定まった昔の美術家たち(オールド・マスター)の絵画の展覧会である。こうした展覧会は、現役の美術家たちの展覧会と並んで、今では当然のように開かれているが、いったいいつからあるのだろうか。そして、オールド・マスター展が開かれるようになった理由は何か。

    欧米に限定しても、こうした問いに答えるのは簡単ではない。しかも、いったん誕生した展覧会は時代や地域によって変化し、その目的や影響も多様である。著者は、およそ17世紀から20世紀までの欧米の展覧会の歴史を幾つかの代表例によって具体的に述べている。しかし、本書は過去の記録に留まってはいない。現代の肥大した展覧会産業への著者の危惧の念が随所に示され、読者は美術展の功罪という問題を意識させられるのである。

    著者フランシス・ハスケル(1928~2000)は、オックスフォード大学で長年美術史学を講じた研究者である。最初の著作『パトロンと画家』(1963年)が、「パトロンと画家を、まさにその順序で論じた書物」と評されたように、作者よりも受容者に注目した独自の研究によって、母国イギリスだけでなく欧米全域において、20世紀後半を代表する美術史家の一人として高い評価を得た。著書も8冊(うち2冊は没後出版)と、決して少なくない。しかし、わが国での紹介は著しく遅れ、本書『束の間の美術館』が初めての翻訳である。著者の没後四半世紀を経てようやく日本の読者にアクセス可能となったハスケルの著作だが、絶筆である本書には著者の生涯の関心と研究成果が凝縮されており、読者は本書を通じて、ハスケルのユニークな仕事の特質全体を感知できるかもしれない。彼の生涯と著作を紹介する「訳者解説」も理解を助けるだろう。

    著者の没後四半世紀を経てようやく日本の読者にアクセス可能となったハスケルの著作だが、絶筆である本書には著者の生涯の関心と研究成果が凝縮されており、読者は本書を通じて、ハスケルのユニークな仕事の特質全体を感知できるかもしれない。彼の生涯と著作を紹介する「訳者解説」も理解を助けるだろう。

  • ルネサンス絵画の社会史

    ルネサンス絵画の社会史

    フラ・アンジェリコの《聖告》やボッティチェッリの《プリマヴェーラ》など、クアトロチェント(イタリア15世紀)に描かれた名画の数々は今日も私たちの前にある。しかし、これらを生んだ「クアトロチェントの眼」と現代の私たちの眼は、果たして同じものを見ているのだろうか? 社会の変化はものの見方に作用するのではないか?

    本署の原題は Painting and Experience in Fifteenth-Century Italy(15世紀のイタリアにおける絵画と経験)という。邦訳では内容に即して、「ルネサンス絵画の社会史」という題をつけた。著者は社会が絵画を規定する、という一方的な社会と絵画の関係を主張するわけではない。契約書や手紙、当時の算術の教科書、といった多彩な史料を駆使して、絵画というテクストを社会というコンテクストの中で読み解く作業をしている。社会と絵画が共有している基盤を、つまり15世紀特有の〈認識方法〉〈クアトロチェントの眼〉をさぐっているのである。

    著者マイケル・バクサンドール(1933~2008)は、ロンドン大学の文化史・美術史研究所であるウォーバーグ研究所でE・H・ゴンブリッチに学び、その一番弟子と見なされている。ヴィクトリア&アルバート美術館での勤務を経てウォーバーグ研究所に戻り、後進の指導にあたった。その後、アメリカに移ってカリフォルニア大学バークレー校でも教えている。本書の邦訳は1989年に平凡社から刊行されたが、アートワークス版は同じ訳者グループによる改訂版である。新旧の両版の「訳者あとがき」にある著者の略伝、およびアートワークス版で加えられたバクサンドールの著作目録は、今のところ本書以外に邦訳がないバクサンドールの多面的で刺激的な研究のあらましを、日本の読者に初めて紹介するものである。

  • 芸術家伝説

    芸術家伝説

    芸術家の人と仕事についての記述は古くから存在する。『美術家列伝』を著した16世紀イタリアのヴァザーリがしばしば「最初の美術史家」と呼ばれるように、美術史学もこうした記述から始まった。ところが近代歴史学の発達に伴い、過去の芸術家伝は軽視されるようになる。同工異曲の逸話が繰り返し現れるので、事実の記録とは見なしがたいと考えられたのだ。

    しかし、本書の著者たちは発想を転換し、繰り返し現れる定型的逸話の中に、人々が芸術家一般の本質について抱いてきた普遍的イメージを探ろうとする。例えば、低い身分の子供が才能を発見され、大芸術家に成長して栄誉を得るといった話は、実際に特定の芸術家の身に起こった出来事であるというより、文化英雄としての芸術家という普遍的イメージを表していると解するのである。また、迫真の描写によって人や動物を欺いたという逸話は、芸術家を魔術師、あるいは神的存在とする見方を示すと捉え、ライヴァルを殺害したという逸話は、芸術家間の強烈な闘争心が極端な形で人々に印象付けられたものと解する。さらに、芸術家についてのこうした定型的イメージが現実の芸術家の想像力に作用し、生き方を規定することもあると付け加えている。

    著者たちは共にウィーン出身の美術史家だが、クリス(1900~57)はフロイト派の精神分析学者でもあり、他方クルツ(1908~75)は文化史研究で知られるヴァールブルク研究所(ハンブルクからロンドンへの移転後はウォーバーグ研究所)の一員で、東洋文化にも関心の深い美術文献学者だった。

    本書のドイツ語版原著は1934年にウィーンで刊行されたが、1988年にぺりかん社から刊行された邦訳は、後半生をロンドンで過ごしたクルツが増補した1979年の英語版も参照し、さらに訳者代表の大西広が中国と日本の例を豊富に補ったものである。例えば、水墨画の大家として名高い雪舟が、寺の小坊主時代、和尚に絵を描くことを禁じられたとき、床に落ちた自分の涙で迫真的なネズミの絵を描いて和尚を驚嘆させたという周知の逸話も取り上げられている。和尚はそれ以来、雪舟の絵画への専心を許したというのだが、幼い子供のとびぬけた画才が周囲の大人を驚かせたという点だけでなく、天賦の才能の持ち主が、親や師匠などが設けた障害を乗り越えて大成するという点でも、この話は原著に取り上げられた西洋の芸術家伝説と見事に呼応するのである。原著者たちが目指したのは、東西両洋を視野に収めた文化の歴史を探求することだったのだから、わが国でこうした形で訳出されたことは特に意義深い。大西広は、アートワークスによる本訳書の復刊を見ることなく2021年に他界した。今は、二人の著者および本書に序文を寄せている彼らの友人ゴンブリッチとともに、泉下での談論風発を楽しんでいることだろう。

  • 芸術と進歩

    芸術と進歩

    ウィーン生まれのE.H.ゴンブリッチ(1909~2001)はロンドンのウォーバーグ研究所で活動した。1950年の刊行以来の世界的ロング・セラー『美術の物語』が示すように、その関心は専門のイタリア・ルネサンスを超えて西洋美術の歴史全体に及んでいる。
    美術研究に知覚心理学を導入した功績でも知られ、芸術学や歴史哲学の見地からの著作も多い。これらの著作の日本語訳は、残念ながら長らく絶版となっていたが、本書はその1冊の復刊である。

    第1章「古典主義からプリミティヴィズムへ」 イタリア16世紀のヴァザーリは、14世紀から彼の時代までの美術には、素朴でぎこちない人体表現から写実的かつ理想化された人体表現へという「進歩」が認められるという観点で、有名な『美術家列伝』を執筆した。確かに、写実的かつ理想化された人体表現という特定の課題に対する漸進的な解決という意味に限定すれば、芸術にも「進歩」はあるのだから、芸術の進歩を一律に否定するのが「進歩的」芸術観だという現代の風潮には再考の余地がある、と著者は指摘する。そして、ルネサンスにはヴァザーリが、18世紀にはドイツのヴィンケルマンが、それぞれルネサンスと古代ギリシアの美術の歩みを「進歩」として記述したことを再確認する。ただ、彼らは進歩の行く末に懸念を抱いていた。そして、ヴィンケルマンが古代ギリシア美術の古典的完成の彼方に頽廃を予感したことには、対抗策としての「プリミティヴな美術」への回帰が含意されていた。そのため、「古典主義」の代表者ヴィンケルマンは、図らずも、それまで未熟として軽視されていたプリミティヴな美術(14、15世紀のイタリアやフランドルの美術)への関心、つまりプリミティヴィズムに先鞭をつけたのである。

    第2章「ロマン主義からモダニズムへ」 プリミティヴィズムが台頭した19世紀初頭のロマン主義から20世紀初頭の表現主義まで、美術界の動向はわずか1世紀のあいだに急速に変化した。科学技術の目覚ましい進歩は、人々に芸術の領域でも同様の進歩を期待させた。伝統的には過去の芸術が尊重されてきたが、19世紀以来、未来の芸術が重視されるモダニズムの風潮が起こり、次々に新しい「~主義」が登場しては前のものと交代する。そのため、すべてが相対化され、芸術家や芸術作品の価値は、未来の芸術に向かう「進歩」への貢献度だけによって測られて、貢献度が低いと見なされれば美術史記述から省かれた。ゴンブリッチは、「進歩」が目的化したことにモダニズムの時代の問題の本質を見ている。

    本書の原著(ドイツ語、1978年)には、その時点までの著作目録が付いていた。本訳書の旧版(中央公論美術出版、1991年)でも目録は増補されたが、アートワークス版には、没後に刊行されたThe Preference for the Primitive, 2002を含む、著者の生涯の仕事が一覧できる著作目録を新たに編纂して加えた。この目録を見るだけでも、ゴンブリッチの関心の広がりと一貫性とを共に感知することができよう。そして、本書で論じられた「プリミティヴ」の問題がゴンブリッチ終生の主要関心事の一つであったことは、遺作が『プリミティヴなものへの偏愛』だったことにも明らかである。

  • 詩は絵のごとく/絵は詩のごとく

    詩は絵のごとく/絵は詩のごとく

    本書は、ルネサンスから18世紀末に至る西洋絵画を根底で支えていた「理論」の存在を指摘し、その源泉である古代ギリシア・ローマの文学や弁論術の理論との関係、美術理論としての具体的な内容を詳細に論じたものである。この理論を集約した標語として用いられたのが、古代ローマの詩人ホラティウスの『詩論』中の「ウト・ピクトゥラ・ポエシス(ut pictura poesis 詩は絵と同じ)」という句であった。この理論によれば、優れた絵画には物語主題が不可欠で、物語を持たない風景画や静物画は、どれほど見事な技巧で描かれていても、優れた絵画になりうる資格を欠くと見なされたのである。

    今日から見ると絵画の評価基準としては疑問のある理論だが、本書を読むと、それが誕生したルネサンスのイタリアでは画期的な意義があったことがわかる。当時、古代ギリシア・ローマの諸学問が再発見され、それらを研究する古典学者たちが、古代の先人を手本として新しい学問の発展に貢献したことはよく知られている。しかし、美術に関する古代の理論は伝わっておらず、美術家たちは、やむなく古代の文学理論を応用して美術理論を構築することになった。彼らは自分たちの仕事を、従来そう思われていたような職人的な手先のわざに留まるものではなく、詩人や古典学者のそれと肩を並べる知的営為として意識し、社会の中で彼らのような高い地位を獲得するための理論武装を行おうとしたのである。この理論武装に特に積極的だったのがレオナルド・ダ・ヴィンチで、彼の絵画論は本書にしばしば引用されている。

    「ウト・ピクトゥラ・ポエシス」の理論は、17世紀になると実作者よりもむしろ批評家によって精錬され、やがて定式化に向かい、18世紀末から19世紀初頭のロマン主義の時代に反発の対象となって凋落する。だが、この理論は19世紀にも西洋の絵画観の深奥に存在し続けた。印象派の風景画に対する当初の批判も、この理論と無関係ではないかもしれない。一方、この理論の全盛期にも画家たちは必ずしもそれに拘束されてはいなかった。16世紀イタリアのタッソの叙事詩『エルサレム解放』の中の恋人たち「リナルドとアルミーダ」のエピソードの絵画化例の分析を通して、17世紀フランスのプッサンをはじめとする画家たちがこの理論にどのように対応したかが考察されるのも、本書の読みどころの一つである。

    著者レンスラー・W・リー(1898-1984)はアメリカ合衆国の美術史家。本訳書には、プリンストン大学でリーに学んだ辻成史大阪大学名誉教授による師の思い出を収録してある。